index <  日誌 < K夫人:目次 56、「正直」



〜1 仕組み。

面倒なので正直に言う。50過ぎのオバサン、そしてオジサンもそうであるが、純真などということはあり得ないのである。もしも、それでも純真というならば、それは白痴か精神に障害のある者、たとえ、そこまでいかなくても、どこかおかしい人である。これはまちがいない。

現実の世界は利害関係と欲得と妥算で動いているのであって、それと係わらないというのは、あり得ないのである。生きるためにはご飯を食べねばならず、そのためには現実へ出て行って収入を得なければならないのである。社会との係わりの中でのみ、生きて行けるのである。それは、かけひきであり、損得計算であり、相手の足元と顔色をうかがうだけの、まことにイヤらしくわずらわしい、憂鬱でうっとうしい世界なのである。

世の中は、それぞれの人間の利害と妥算、損得勘定や情欲で動いているのであって、それを無視して生きて行くなどということはあり得ないのであって、もしもそうした人間がいるとすれば、それは現実の外で生きている人間である。

それは、人間の身体という「入れ物」だけが現実を生きていて、中身の精神はいつも現実とは別の世界を生きている人間のことである。だから、そうしたことは普通あり得ないのであって、たとえそうだとしても、それは多かれ少なかれ現実との接触の中で生きているという「程度」の問題に過ぎないのである。

よこしまな欲望と利害関係、妥算と損得計算、だれもが相手の弱みに付け込むことばかり考えている。そうした「かけひき」だけの世界である。好むと好まざるに係わらずそうやって世の中は動いているし、そうやって人間は収入を得て生きて行けるのである。これが世の中の仕組みなのである。

 戻る。                        続く。

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