< 社会のカタチ。
〜2、「近代の君主制」
古代では社会経済の未分化、ないし、それを無視して、 統治が上からの暴力ないし宗教によって、統合されている。 社会経済の必然性から求められたもので、る、個人の 自律に基づく自発的な結合では無かった点である。あるいは、 個人の主体性や自律性がいまだ意識されない世界である。 しかし、まさにこのようなシステムと、精神の内的必然性が 君主制を生み出したといえる。それは、理性を自分で意識し、 自覚して指向する、指向せざるを得ないシステムと言える。 そしてそのシステムの構成要素、ないし前提となるのは、 自立した農民同盟、都市同盟、組合ギルド、ブルジョアジー 階層などである。 それはつまり、それら自立した同盟ないし階層の同意無しには、 国家が運営できず、国家自体が成り立たない、 ということなのである。だから君主というのは、それを統括し 運営する責任者なのである。古代の王のような、自分勝手な 恣意は許されないのである。 だとすれば、それは商工業などの経済の一定の発達なしには、 君主制は成立し得ない。その現実の成立条件を欠くからである。 封建制は、身分上の意識せざる宗教的な上下関係が秩序の 要(かなめ)であるが、君主制では、経済合理性が秩序の要、 ないし、そうした方向性を指向する。 |