index < 日誌 < u列島< 「豊芦原の瑞穂の国」、下p14/


 
8、環境。



自分というのが、なにか別の者になってしまっている。異質で未知な別世界の住人となってしまっている。そしてそれが自分にもわかるし、自覚せざるを得ないのである。自分自身というのが、自己の内的同一性というのがどこかで破壊されていて、なにか別の原理と必然性をさがし始めている。そうする以外にないのである。

そうやってのみ、自分を維持し、保存し、継続してゆくことが出来るのである。そうする以外にないのである。自分自身の内的同一性というのが何か別のものに変異するのである。こうしたことは個人に限らず、人間集団の間でも歴史上何度も起こっている。新たな民族の生成、あるいは消滅といったものがそうなのである。

そうするしか無いのである。選択肢といったものは初めから無いのである。そうする以外になく、そこに留まり続けて自己を失うか、あるいは、そこから出て新たな世界、未知の世界の住人となるしかないのである。もちろん、適応出来ずに消滅することも当然のように起こるが、それ以外に残された方向がないのである。

そうやって自己が最終的に破壊されることもあるが、再生することもあるのである。どちらにしても、本人の意思とはほとんど関係のない、偶然なのである。偶然だというのは、本人の意思とは係わりのない、絶対的な強制力、つまり偶然であるということ、言い換えれば、現実の自然環境と歴史的条件が、当の本人を規制し、条件づけ、有無を言わせずに方向づけているからである。


戻る。            続く。

index < 日誌 < u列島< 「豊芦原の瑞穂の国」、下p14/