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2、普遍的存在。



このような自分とは自己意識というのを持たないのであって、だとすると、自分の何もかもが共同体の中で存在するしかないのである。自分というのが、共同体から分かれて、離れるといったことが出来ないのである。

だからまた、それが本人にとっての情緒であり、自分の存在理由であり、自己の自意識となっているのである。自分が自分であることの根拠となっているのである。自分の考えというのを持たず、共同体の意志がそのまま自分の考えとなっているのである。

しかし、こうした自己意識を持たない人間にとって、自分で自分を確かめ、自分を了解するといったことは、いったい、どういうことなのだろうか? それは、個としてのどうにもならない、または、どうにかしようともしない、そしてまた、どうにかできるものでもない自分自身と、自己の最高点、自己の誇り、プライド、自意識といったものが、共同体の中心に向かっている。

中心に向かい、そして、それと精神的に一体となっている。そしてこの中心が普遍的な存在として意識される。これが共同体の意思であり、情緒なのである。そしてそれが、目に見える姿となったのが「皇帝」なのである。現代的感覚から言うと「首領様」というのがそれである。


戻る。            続く。

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