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3、人間の感覚。



象徴とは、思考や論理ではなく、直接に感覚や感情に訴える。理屈ぬきで、コトバにもならない、それ以前の直感や情感として、直接、心の中に入り込んでくる。

それは無意識の世界であって、そうした気分や雰囲気、そうした感情や情緒が世の中を支配している。無意識の共有感情、共有意識とでもいったものである。オキテとか、暗黙の了解といったものが、それである。「象徴」でもって示されれるサインや符号の世界でもある。象徴でもって暗示し、それへと誘い導いて行くのである。

だれも、それについては逆らうことが出来ないのである。それはこの社会にとってのオキテなのである。社会が成り立つための前提なのである。

そして、そこにまた、この社会を成り立たせている条件や方向性があって、それがまた、大衆の指向するところともなっているのである。そしてまた、そうしたことが、人間の感覚や感情、、見るもの、聞くもの、触れるものを条件づけ、規制し、支配しているのである。見るべきものだけでなく、見てはならないものまでも、線引きし定めているのである。 

だからまた、人間の感覚といったものは、そうした社会とのかかわりの中ではじめて社会的な意味を持つのであって、感覚が、人間の人間的な感覚として意味を持つようになるのである。社会とは、すなわち秩序であり「線引き」なのである。人間が立ち入ってはならない境界線を定めているのである。

だからやはり、人間の感覚、情緒や感情や気分といったもの、あるいは肉体の、目や耳や指の感触、それに筋肉や内臓や骨格のもの言わぬ感覚、気持ちや気分、気持ちよいとか、感じよい・・・などといった、そうした情緒といったものが、その社会によって支配され、規制され条件付けられていると言わざるを得ないのである。


戻る。              続く。

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