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4、感覚。



アイデンティティー、あるいは存在理由といったものは、一つは歴史的なルーツであるとともに、もう一つは、肉体と精神および自然環境との一体性、自己の統合された全体性ではないだろうか。

これを別の言い方で表わすと、生存の形式、そしてそれを保守・継続してゆく管理システム(社会体制)であり、そしてさらに、もっとも本質的で、それら形式とシステムの前提となる、人間自身の情緒的傾向といったものである。

この「情緒」といったものが社会の様式とシステムの根源にあって、それが条件と前提になっていて、そしてそれが指向するところの原因ともなっている。すなわち、個人にとっての存在の理由であり、現存する社会システムの根拠となっているのである。

それは交換も比較も出来ない、質的に異なる個性であって、民族集団ないし個人の精神の基底を形作っている実体であると言える。それは言葉でも、論理でも、シキタリでも、法律でもない。それは人間という肉体が生きている現実である。肉体という感覚自体が生きて機能している領域なのである。

それは意識されることのない肉体の感覚の世界であり、そしてその特殊性であり、その感覚の幅や深度であり、そしてその方向性であり、そしてまたリズムであり抑揚である。それは感覚自体が求めて指向する、感覚自身の傾向なのである。感覚自身の中にあって、それが外に向けて形成されてきた、その方向性なのである。


戻る。             続く。

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