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3、分裂。


だからこの場合、人間は自分の内面を見ている。自分のなかの偏見と思い込みの世界を見ている。外の現実世界の、ありのままの自然のすがたから、自己の内面を感じると共に、自分自身の心のなかの世界を見ているのである。

気がつくとか、察するとか、思い当たるとか、そうやってそれが暗示され、導かれてゆくのである。そしてそれが人間にとっての感覚の受け止め方、感じ方といったものなのである。気づかなかったことに気づかされるし、見えなかったものが見えても来る。

現実をそのまま見ているのではない。自分の都合に合わせて見ているのである。「都合」とは自分の個性であり、立場であり、生き方である。そしてまた、自分にとっての利害関係を表しているのである。またこれが、自分の存在の仕方なのである。

そうしてのみ、社会の中の一人として、自分というのが社会の中で生かされるのであって、生きて行けるのである。そうした思い込みと偏見の世界を私たちは生きている。だからときおり、わけもなく空間が、あるいは自分の感覚が歪んで軋んで来たり、そしてそうした裂け目の奧から何か得体の知れないものが見えて来たりするのである。

偏見と「思い込み」の裏側にあるものが、チラリと見えてくるのである。幻覚や錯視、錯覚、幻といったものがそうなのである。自分の中の神経や生理といったものが不具合を起こしてパニクって、ショートして、意味不明の、わけの分からないトラブルを起こしているのである。自分の中で自分が分裂している。そして、その分裂の中で自分を見ている。自分で自分を見ているのである。

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