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それは、透き通った水面の水の中を、のぞき込んだときのようだった。透き通っていて、透明で、はてしなく、そして限りなく純粋で、まるで肌に触れるように直接伝わってくる。こころの中が見えてくる、そう思えてくるのである。 限りなく純粋で透明で、そして直接である。僕と彼女をへだてるものは何もない。僕は、心で彼女の心の中をのぞき込んでいたのである。 だからそれに気づいたときは、何のことかわからず、驚き、当惑し、そして何よりも、そんな自分を恐れ、おののき、とまどったのである。心の中をのぞき込んでいる、こうした自分はいったい誰なのかと。 ぼくは、本当の自分自身のすがたといったものを見てしまったのである。現実を生きている自分ではなくて、それを意識している自分というものの正体を見ていたのである。 深い、ぼやけた霧のなかから、あるいは、果てしなく遠い空のかなたの向こう側で、忘れられ、失われていた「自分」というのを強く意識したのである。現実の中に、自分というのが存在しない以上、それを求めて出て行くしかなかったのである。 |
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