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4、感覚器官。

ものごとの印象は、それが経験され蓄積されてきた、色や模様やカタチの記憶である。それは、印象として保存され蓄積される形式である。もちろんそれ以外の、ニオイや触覚、あるいはそれらがもたらす体内感覚や情緒や気分といったものもそうである。

さらに、そうしたことが複雑に絡みあう第六感や気配いといったものもそうである。人間が、見るもの聞くもの触れるもの、といった現実世界も、そのようにして意識され、また、そうしてなんらかの意味といったものを生み出してきたのである。

しかしまた、それは人間の感覚の感じ方についてのみ言えることではなくて、そうした感覚の前提になっている物理的な感覚器官そのものの、その機能や仕組み、サイズやカタチについても言えることなのである。それは、与えられた感覚の「感じ方」だけでなく、その物的・空間的形状によっても制約され規定されているのである。

人間は、自分たちの「種」にとって必要なものだけを、子孫に遺伝として伝え残そうとしてきたのである。従ってこの時点で、現実とのかかわりかた自体も制限されるし、また、そのようなあらかじめ設定された条件の上でのみ、それが生かされてくるのである。つまり、そうしたことが人間にとっての感覚の前提としてあるのである。

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