index< 日誌 < v夢の中 < 18-391「続、暗示」 |
自分が自分と対立して、自分で自分をのぞき込むといったことがないのである。のぞき込まないことが許されるし、のぞき込んではならないし、その必要もなく、そしてそれが普通で、そしてときにはそれが正義のように思えてくるのである。 自分の現実に対して疑いを抱いてはならないのである。そうしたことが許される世界である。だれもがそうなのだから、そうしなければならず、また、それが当然で、それしかないように思えてくるのである。そしてこれが正義として許される世界なのである。 自分で自分をのぞき込むといったことがなく、自分で自分に疑問を感じて、自分で自分の生き方を問い直すといったことがないのである。それどころかそうした「疑惑」自体があってはならなず、それが許されない世かkなのである。そうした世界を生きている。 それは無言の戒(いまし)めであり、オキテであり、そしてそれへと導く暗示と象徴の世界なのである。 |