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5、生かされている。



自分というのが権威という他者によって生かされ動かされているのである。自分というのが見えなくなってるのである。そしてそうしたことに気づかなくても生きてゆける社会なのである。むしろ、気づかないから生きていけるし、生きることが許されるし、そしてまたそれが成り立つ社会なのである。

それは、目隠ししたまま人々を理想郷へと誘導してゆくようなものである。なにも知らないまま、青年を経ることなく大人になるようなものである。それらすべては自分の判断と責任、自分の自由とリスクによって獲得されたものではないのである。だから、自分のものではなくて、他人のものなのである。

それらすべてが自分の肉体、自分の経験と記憶、そして自分の人生の中で起こった出来事なのであり、自分自身のことなのであるが、それでもやはり自分のものではないのである。

自分のものであっても、自分のものではないのである。そしてまたこうしたことが私たちが「恵まれすぎている」という意味なのである。自分を見失い、何も見えなくなっていて、そしてそれに気づかなくなっているのである。それに気づかないまま生きて行ける社会なのである。


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