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7、未知。

しかし、そうした人間にとって外の世界の、現実の世界というのは、ただそこにしか無いものであって、現実の世界に同じものは二つとないのである。だからまた、それが現実なのである。

同じであるという考え方自体が、自分自身の思考の世界を言っているのであって、そしてそれ自体が、現実とは別のものなのである。しかしまた、この同じであるという識別自体が、思考の世界で抽象化をもたらしているのである。

現実は、どこまで追求して行っても限りがなく、果てしがなく、そして未知のものであり続けるのである。それは現実がそうであるだけでなく、自分自身そのものが、自分にとっても未知のものであり続けるからである。

現実とは、個別的で具体的なものなのであって、ある地域、ある歴史上の時点において、それぞれが別々のものとして現れる。たとえ同じものを見ていても、見る角度や、見る人の都合や動機、そしてまた時間の経過によって無限の変化をくり返している。だから、同じものはこの世に二つと存在しないのである。

同じように見えても、それが別々のものだというのは、それが個別性と具体性なのであって、そしてまた、そうした世界が現実なのである。また、だからこそ現実であると言えるのである。現実は、そうした未知の世界なのである。


戻る。                         続く。

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