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3、先史。

しかしまたそれは、たしかに偶然であり、そしてまた、錯覚でなければならなかったのである。なぜなら、このような偶然と錯覚だけが客観性を保証したからである。当事者の主観が入る余地をなくしたからである。

古代ローマにおける「鳥占い」がそうである。鳥の仕草で出来事の良し悪しや、自分たちの未来や、ものごとの理由を知ろうとしたのである。ゾロアスター教における「炎占い」もそうであり、古代中国の「亀の甲占い」もまたそうである。

炎の模様や、焼けたカメの甲羅(こうら)の模様で、自分たちの未来を占ったのである。または、そうやって自分たちの精神の世界を間接的に見ていたのである。直接にではなく間接なので、それを確かめることも証明することもできず、だからこれを占いと言ったのである。


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続く。

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