――イメージをカタチに(・Image)――
index(索引)<concept(概念)<ルネサンスへ<2013-0306
私の感覚は、私に対して本当に正直なのだろうか。 時々ふっと、深い違和感と共に、 自分の感覚に対して底なしの疑いを抱くことがある。 「これはいったい誰の感覚なのだ?」と。 僕の感覚が、僕を欺(あざむ)こうとしている。 感覚が、僕に対して何かを隠そうとしている。 それとも、精神の暗い奥底にあって、 それをどう表現したらよいのかわからず、 苦しみ喘(あえ)いでいる。 なにもそんな深刻なことではなくても、 そうしたことは、日常的にしょっちゅうある。 未知なるものと遭遇した場合である。 匂いとか色とか音とか、それに例えば、 肌に触れる空気の非常に微妙な感触などもそうだ。 何かが自分の中に入ってきているのだが、 それが何かわからず、気味が悪く、 どうしょうもなく、苛(いら)立つのである。 仲間といっしょにいて、楽しい時や、 険悪になった時のその場の「空気」の、 肌に触れる感触などもそうだ。 それをいったい、どう表現したらよいのか、わからない。 しかし、確かに「何か」が違うのである。 それは多分、僕の心の中の問題なのだ。 だから、言葉でうまく言い表せないのである。 僕の、個人的な主観に過ぎないのだ。 だから、それが「何か?」と問われても、わからないし、 また「何か?」と問う人間もいない。 しかし、確かに「何か」がある。 普通、こうしたことは誰も気づかないし、 気付いても、すぐに忘れて気にしない。 むしろ、それを気にする方が、非常におかしいのである。 しかし、僕は気になって仕方がないのである。 僕自身の感覚といったものが、 執拗に僕に訴えているように思えてならないからである。 |