( 市)ルネサンスへ<2015-0313-b ぼやける、
2:主観的。
こうしたことは、自然界では気体と液体に見られるが、 一般的には、ほとんど見られない。それは、たいてい、 それを見る側の都合、人間の目の水晶体(レンズ)に原因がある。 この水晶体は、一方に焦点を合わせると、 他方はどうしても焦点が合わず、ぼやけてしまうからである。 だから、「ぼやける」というのは、それを見る側の意志と主観に従う。 それは、主観的でコントロール可能な現象である。自分の都合と目的、 気まぐれと思い込みに合わせて、見たいものだけが見えてくる。 人間は自分にとって、必要なものだけを感じ取ろうとし、 また感じもするし、そうでないものについては、 感じようともしないし、それに気づくこともないのである。 そしてまた、気づいたとしても、知らなかったこととして忘れるのである。 そうするしかないし、そうしてのみ、自分が成り立っているのである。 人間は、そうした自分の主観の世界を見ている。 と同時に、自分の主観の世界を生きている。 それはまた、人間が生きて活動している、 肉体のすべての感覚器官についても、 同じことが言えるのである。つまり、そうした意味で、 人間は内面的であって、外の世界というのを、 自分の意識のなかで見ているのである。 だからまた、外の世界が、すべてぼやけて見えて、 なにもかも焦点が合わなくなったとき、 外の現実を見ているという感じがなくなって、 なにやら、自分の内面世界を見ている思いがしてくる。 外の世界と、自分の内面との境界がなくなって、 ぼやけた、あいまいさのなかで、それらすべてが、 区別の出来ない、同じもののように思えてくるのである。 内面と外面の区別がなくなって、 それらが、互いに自由に出入りして、 行ったり来たりして行って、終いにケジメが無くなって、 区別できなくなる。外面でも内面でもなくなって、 自分自身を喪失してゆく。 戻る。 続く。 |