(  市)ルネサンスへ<2015-0320 かすむ、



4:暗黙の了解。

それはちょうど、
人間が何かの目的を持って、それを見ようとしている場合に、
自分で目の焦点を合わせたのと同じような印象を与えもするし、
そしてまた、そうなのだと思えてもくる。それに気づかないにしても、
それと同じ状態を見ているのである。
無意識のうちにそうした世界を見ていて、
それを普通の自然なこととして受け入れている。
私たちは、そうした現実の世界を生きている。

自分から、すすんでそれを見ているわけではないのに、
自分の意志でそれを見ているように、思えてくるのである。
自分の外から、むりやり見せつけられているのに、
自分の本心からそれを見ているように感じられてくるのである。
しかし、それは錯覚であって、本人にはそう思えても、
それは、他人からそう思わされている、ということが、
たくさんあるのである。イヤ、それがほとんどなのである。

私たちの考えや感じ方というのは、
社会の中でのみ機能しているのである。
だから、それは、ほとんどそれだけなのである。
社会が必要としているのは、それだけなのだから。
個人的な偏見といえども、だれもがそれを共有することによってのみ、
社会が成り立つのだから。そうやって、人々が結びついている。

それは、暗黙の了解、無言の約束とでもいったもので、
そうやって、人々が結びつき、つながって、キズナとなっている。
そしてまた、そうしたことが、
この社会を生きる人々にとっての自意識、感覚であり、
居場所となっていて、それぞれにとっての「理由」、
そして、この社会にとっての原理となっているのである。

 戻る。             続く。


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