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3、だれ?


このようにして、私たちが生きている営みの意味といったものが、いつの間にか気づかれないまま変化してゆくのである。営みと、その意味や目的といったものが変化していても、カタチは同じままで、それが私たちに与える意味といったものが、それまでとは別のものになって行くのである。

習慣や常識、そして自分の中の傾向といったものがそうなのである。そしてまた、より原初的な身体の動きといったものや、顔の表情や、ポーズの意味といったものが、いつの間にか、それが本来持っていた目的や理由とは別のものになっているのである。

そして何かの拍子(ひょうし)に、それにふっと気づかされるのである。自分はいったい誰なのか、自分はいったい何をしているのかと。自分でも自分が誰なのか分からなくなるのである。



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