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3、責任。


しかしこれは、言葉の上だけでなく、実際の現実の条件と状況を考えなければならない。人間はだれも、相手の弱みに付け込もうとする。また、だれもがそうするので、それが当たり前で当然のことで、あるいは少なくとも差し当たりは、それが許されることのように思ってしまう。そしてそれが日常化し常識になって行く。

このようにして、その場を逃げてしまう。争いは避けなければならない。このようにして、だれもかも、みんなが共犯者になっているのである。本人の意志とは関わりなく、このようにして世間が成り立っているのである。「自分たち」とか、「仲間」というのは、このことなのである。

世界中の誰もがみな、それが正しいと言っても、自分が納得いかなければ、「異議申立て」しなければならないのである。そして当然、それに責任を負わねばならないのである。「自分たち」でも、「仲間」でもないことを覚悟しなければならないのである。これは、異議申立てする者の、当然の責任なのである。

戻る。                続く。

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2019-0113-0120-B