index< 日誌 ax背景< 23b-92 「錯覚」p9

2、思い込み。


そうやって、自分で自分を理解すると共に納得もし安心もするのである。しかし、これはあくまでも、この当事者の主観であり、思い込みであり、偏見に過ぎないのである。

これは偶然の出来事が重なった結果であり、また、そうした錯覚と誤解が繰り返される日常の結果なのである。これを私たちは馴れとか習慣と言っているのである。

また、シキタリやオキテ、タブーや、法律や、宗教なども、その結果と言える。理性や合理性という考えも、このような思い込みの偏見から派生して出来たものである。

戻る。             続く。

index< 日誌  ax背景< 23b-92 「錯覚」p9
2019-0313-0317