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2、雰囲気。


あるいはまた、それ以外に自分を確かめる現実の場面というのが人間には無いのである。だからまた、自分自身の理由といったものが、そこにしか見つからないのである。人間が自分を意識するというのは、このことなのである。

だから、涙は出なければならないのである。たとえ、目に見える物理的・生理的衝撃が無くても、そうなのである。たとえ、純粋に心理的で観念的な気苦労に過ぎないものであっても、涙は出なければならないのである。それは自分自身の「しるし」なのである。

あるいは、笑ったり、喜んだり、怒ったりするのもそうなのである。人間には気分や気持ち、雰囲気といったものがあって、たとえそれだけであっても、何かを想像したり、喜んだり、悲しんだりするのである。そしてそれは、自分の肉体を通して知られて来なければならないのである。

戻る。             続く。

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2019-0317-0327