index< 日誌 s設定 <  23c-17幻想の世界4 「偏見」p7

1、錯覚。


これはやはり、誤解であり錯覚なのだ。そうした仮想と連想、そして思い込みと偏見の世界なのだ。それしかなれず、それ以外になく、またそうしてのみ私たちは、この世界というのを知ることが出来たのである。

精神と肉体、あるいはまた、自分と他人というのは、本来もともと別のもの、別の世界なのである。しかしまた、だからこそ、偏見と錯覚の世界においてのみ、お互いを知り、理解し、わかり合えたのである。

無限の世界というものを、有限な自己の意識でもって理解しようとする限り、そうならざるを得ないのである。それが錯覚だったからこそ、私たちは世界というのを知ることが出来たのである。

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2019-0327-0329