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〜2 透明。


イヤ、正直に言うと、だからこそ僕はそんな彼女に惹かれ、引かれ、吸い込まれ、導かれ、誘われて行ったのである。まるで身動きも抵抗も出来ないまま、引きずり込まれて行ったのである。大人の年齢と容装をした、まるで小学生のような女の子。色気や欲得や利害の妥算を全然無視した、そうした大人の世界に馴染めない、バァサンに近い女の子。

こういうことが世の中にあるのである。限りなく純粋で、純真で、透き通っていて、ストレートである。何もかも無視して、直接、僕の心の中に入ってくる。彼女の心の中にまやかしや飾りもの、かげりや曇りといったものがないのである。澄んでいて、透明なのである。だから、おおらかで明るく、何恥じることなくすき透(とお)っている。何もかくさず、かざらず、あらわである。

何もかもがそのままで、あらわに映し出されている。ノイズも、不具合も、障害も、ゴミや、チリも、なにもない、限りなく透き通った、透明な心の世界である。表面だけのニセモノや偽りがないのである。何もかもがそのままで、あらわに見えてくる。透明になって直接に僕の心の中で映し出されている。この世の何もかもが消えて行って、心が透明になって直接触れ合っている。

心の中のマヤカシやかざりも、かげりや曇りもない。なにもない。何か得体の知れない濁(にご)った不純物もない。もともと何もない。そうした原因となるもの自体がないのである。だから純粋で、透明で、永遠なのである。僕と彼女以外になにもない、そんな透明な世界なのである。生きている現実や、人生の時間といったものは、もはや何の意味もなくしている。そんな、永遠の世界を見ていたのである。

だから、彼女の言うこと、することの何もかもが、僕たちのまわりのすべてを無視して、素通りして、そして透過して、直接、僕の心にひびいてくる。ささやき、問いかけ、そして僕を眠りから呼び覚ましにくるのである。それは、言葉や理屈以前の、僕の心の中の世界なのである。なにもかも無視して、心と心が直接触れている。

 戻る。                        続く。

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