index < 日誌 < K夫人:目次。< 49、「始まり」
〜1 祈り。
僕はずっと、ずっとそうであり続けた。そして、それがまた何なのか自分でもわからずに、それが自分の苦しみと痛さの源(みなもと)であり続けたのである。自分が自分である、ということこそがすべての始まりだったのである。 別の言い方をすれば、それは僕の心の中の空白部分であって、それが何なのか自分でもわからず、知りようもなく、そうしたことが自分にとって、ずっと苦痛であり続けたのである。いま考えてみると、そうした空白の部分こそが本当の自分自身であったように思えてくるのである。 はじめてこの職場に来た時もそうだった。それは直感的で本能的なものだった。なぜそうなのか言葉ではうまく説明できないのである。それは言葉になる前の本能とか衝動、言い知れぬ祈りのようなものだったからである。自分自身の心の中にある空白の部分を、直感的に、この職場の空気に感じていたのである。 なぜかワケもなく無性に引きよせられ、吸い込まれて行く。自分が自分でもコントロール出来ず、引き込まれて行く。それは、自分の心の中の空白の部分を、この職場の現実の世界に見ていたのである。少なくとも僕にはそう思えたのである。それが僕の心をとらえて離さず、際限なく引きずり込んでゆくのである。 それはいたたまれず、わけもなく苦しいものであり続けた。すべては彼女に、職場の中の彼女の存在に、すべての理由があったのである。それはまさに自分自身の苦しみであり、苦悩であり続けたもの、それがいま現実の彼女のすがたとして、僕には見えたのである。それは僕の良心であり、希望であり、そして祈りそのものだったのである。 戻る。 続く。 |