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〜7、「理由」


めまいのする、まばたきするほどの瞬間である。何かのハズミで、瞬間的にチラリと見える、ないし、見えたと思えてくるのである。それは思い込みであり、
思い出せないでいる記憶であり、意識されることのない、あるいは、意識の外にある本能的な心証の世界、心の動きといったものである。

しかし、そうした意識の根源、見つからない記憶の痕跡といったものは、何らかのカタチを求める。音でも、ニオイでも、見えるものでも、あるいは空想だけのイメージであっても、あるいはまた、論理的なコトバの概念だけだとしても、なんでもよい。とにかく「カタチ」を求める。そうしないと忘れるし、消えて行くのである。それを意識の世界に取り込んで、記憶として残すには、どうしても、記憶にとして残るような、何らかの「カタチ」にする必要があるのである。

心の中は常にゆれうごき、移ろいでいる。そしていつも何かが現れては消えてゆく。同じものは二度と現れない。それをとらえて知るには、どうしてもその瞬間をとらえて、何らかのカタチとして保存する必要があるのである。

それは、自己の意識とか記憶の外の世界の出来事である。だがそれは、非常に、かけがえもなく大事で、貴(とうと)い、自己の存在の根源にかかわる出来事なのである。それが、自分自身そのものなのである。自分と他人を区分する境界線なのである。だれにも無い、自分だけが持つ、自分の理由なのである。そしてまた、自分の精神の中にあって、自分でもけっして届くことのない世界なのである。

 
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