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2、理由。


それは、自己の内面としての、自分の自意識に本人が気づいていないし、気づくこともなく、また、それを求めることもなく、その必要もないという世界を生きている。また、そうしたところに自分の居場所があって、そして、これが自分の生き方や存在の仕方になっているのである。

そうである限り、人間は自分の考えや感じ方を持つということがないのである。そうしたカテゴリー化され、形式化された上辺だけの、内実を欠いた世界を生きているのである。そしてそれを自分のものと勘違いしているのである。

そうした中身がカラッポの形式だけの世界である。だから本来、見えるはずのものが見えないのである。たとえ見えていたとしても、それに気づくことも理解されることもないのである。

そうして、自分で自分を見たり知ったりする機会も、場面も、動機もないままで、いつまでたっても自分というのが見えてこないし、見えないし、見ることもないのである。自分で自分を意識したり自覚したりすることがないのである。また、それが出来ない世界を生きている。

そうである限り、自分の根拠を他人に求めざるを得ず、自分の根源と理由を求めて、それを自分の外の他人に求める以外にないのである。そうして「お前が上か、オレが上か」だけの、序列とランク付けの中で自分を見い出す以外にないのである。


戻る。                 続く。

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