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1、きずな。


みんなの中に、同じでない者が一人でもいるということは、それ自体が、みんなを否定しているのである。そうした、個性とか個人という存在が認められず、許されもしない世界。それは、「個人」というのが失われた世界である。

個人が、個人として自律するということは、このような集団主義の世界を破戒することになるのである。そして、それはまた、その中で生きてきた普通の人々の、生きている意味や理由といったものまでも壊してしまうのである。存在そのものを辱めるものなのである。

感覚の感じ方や、常識や習慣といったもの、そして何よりも人間関係を破壊して、自分が生きている意味と理由を破壊してしまうのである。社会のキズナとそのシステムを破壊してしまうのである。だからそれは、何としても、認めるわけにはいかないものなのである。

そうであるならば、やはり、このような社会の中にあっては、個人というのは存在し得ず、居場所などあってはならないものであって、そしてその精神となるはずの、自分で自分に問いかけたり、かえり見るなどといったことは、あり得ないことなのである。それはあってはならないものなのである。それが許されない世界を生きているのである。

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