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そしてこれが、自己と外の世界を結び付ける接点になっているのである。それは自分が自分であることの証明なのであって、自分で自分を感じ、そして自分で自分のなかを覗(のぞ)き込んでいるのである。発掘し、発見し、復活しようとしているのである。 自分自身のなかにある「種」の記憶とそのタマシイの世界を見ているのである。自分の中の失われた記憶の世界を見ているのである。そしてそれは、自分にとって見れば、それこそが自分自身の方向性であり、傾向なのである。自分というのがそのようにしかなれない、という意味でそうなのである。 それは、自分が生まれてきたところの現実の環境として、あらかじめ設定されていて、それによって拘束され、方向づけられているのである。そしてまた、そうした方向へと導かれて行く、そうした傾向が自分の中にもともとあったのだ、ということなのである。もともとそのように仕組まれていた、ということなのである。 |