ルネサンスへ2012-0812-5   市



空気の、「光」。




確かに「空気」が、
この現実を支配している。
心地良い日差しと空気に包まれた、
フェルト帽のモケモケした感じ。
軽く汗ばんだのか、お下げの髪が滲んでいる。
左斜め上からの暖かな日差しが、帽子の下の、
彼女の肉体表面を穏
(おだ)やかに撫(な)でている。

ふっくらしていて、
穏やかに緩く優しく、湾曲する肌触り。
目はうつむき、唇
(くちびる)は軽く閉じている。
そうした、内部から溢れる肉体の表情、
表面の肌触りといったものを、
斜め上からの日差しが、穏やかに映し出している。

このような、優しく柔らかな光だからこそ、
もの静かで、内向的な精神が見えるのである。
そして、誰よりもそう感じているのは、実は、
彼女自身の肉体が、そうなのである。


「フェルトで作る帽子」雄鷄社、撮影:南雲保夫、Emi Nina

画面左のレンガの壁面から反射される、
オレンジ色の照り返しはどうだろう?
非常に薄くではあるが、
背後から、空気全体を黄色っぽくしている。
これが画面全体を一段と、
やつれた、けだるい感じにしている。

もちろん、それが無くても、
やはり、けだるい感じであるが、
オレンジの照り返しが、一段と、
けだるくしているのである。
それも、背後から逆光となって、
いっそう、やりきれなくしているのである。

確かに、その様に見えるだけではなくて、
そう感じてくる。
これが、その場の空気が持つ、
雰囲気というものである。

誰だって、その場の「雰囲気」に逆らわない。
面倒だし、疲れるから。
そしてこの、「場の雰囲気」こそが、
空気の色であり、光の質ではないだろうか。
そして、それはまた、
その民族の文化と風土に、密接に根ざしている。





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