ルネサンスへ2012-0812-4   市


空気の「色」。



「フェルトで作る帽子」雄鷄社、撮影:南雲保夫、Emi Nina


画面全体に、
昼下がりの非常に薄い黄色が混じっている。
それが、何かやるせない、抵抗を断念させるような、
非常に大きな不可抗力として、
画面全体を支配している。
それは、彼女と世界を包む「空気の色」である。
そして、それを映すのが、この場面の「光の質」である。
空気と光がこの世界を支配している。






うつむき加減の、放心したような視線。
帽子のひさしで、ちょうど見えにくくなっている。
それはそのままで、彼女の心の中を反映している。
自分でも、よくわからないのである。
また、そんな自分を他人に見られたくないのである。
そのような半分、投げやりで、
うつむき加減の、内指向の場面なのである。
少し疲れてやつれた感じである。
彼女、つまり「モデル」としての彼女は、
少なくとも、そのように演じている。



「フェルトで作る帽子」雄鷄社、撮影:南雲保夫、Emi Nina


しかし、それだけではない。
彼女自身の意思とは関係なく、
この場面は、そのように設定されている。
ここが大事なのである。
意識することのない、ごく普通の日常において、
すでに意識と感覚が、、なにかしら、
得体の知れない「空気」によって支配されている。
そして、それを映し出す、「光」というのもまた、
万華鏡のように千変万化する心の中の、
ほんの、一瞬のみを反映している。
そしてそれは、その場その時の、
「光の質」が決定しているのである。
だから、よくわからないのである。
何が本当の彼女なのか?



 戻る。                   続く。



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