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4、カテゴリー化。


そしてこの空気を媒介した、発声という音によるコミュニケーション方法は、見る視覚や触れる触覚と違い、見る方向や直接の接触を必要としない。そうした意味で、容易に現実的で直接的な感情や行動と遊離する傾向を持っている。

また、発音と音節の組み合わせによって、無限に様々な感情や考えを表現することが出来たのである。音という表現手段が身体から離れ、それだけで何かを表現し始めたのである。

もちろん、このような現実世界から遮断された、身体内部の反射作用という意味では、視覚でも触覚でも嗅覚でも、常に現実から遊離する傾向を伴っている。しかし、この「音」という場合、それがより広く多様にカテゴリー化されやすく、また、それだけ意識や思考といったものを広げて展開しやすいものにしたのである。

なぜなら、それは必ずしも現実にあるものを必要としないからである。それは記憶の世界の中だけで、それを言語でもってカタチにしてゆくことが出来たからである。また、この言語自体が観念の世界の中で抽象化され、記号化されたものなのである。


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