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6、理由が分からない。


感情といった場合、たいていその対象が存在する。また、それが存在し意識出来るから、それがまたガマンできず、感情的になるのである。

しかし、情緒といった場合、ある程度それが自分でも理解できるものだとしても、それがいったい何のことで、どうしてそういう感じや気分や気持ちになるのか、ハッキリしない場合が多い。だからまた、ただ気持ちよく、感じよく、あるいはまた、訳ももなく憂欝になったり、落ち着かなくなったりするのである。

それは、その原因や理由が自分にも分からないからそうなのであるが、それは、そうした感じの対象(または相手)が捉(とら)えどころのないものだからである。なぜか? それは、その原因や理由といったものが、直接見ることの出来ない自分自身の中にあるからである。


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