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たとえば、間を持たせたり、何か言い訳をするときに、意味もなく手指が動いて顔に触れたりする理由などは、どうでもよいことなのであって、それは身体の他のどの部分であってもかまわないことなのである。 ただそうした、手指と顔表面の組み合わせが、相手にも自分にとっても最も簡単で分かりやすく、ジャマにならないということなのである。こうした場合、悩んだり、感情が激したり、迷ったり、驚いたり、恐れたりするときに、自分で自分を納得させる必要があるのである。 そしてその仕草や動作の理由などは、どうでもよいことなのである。言わば、行き当たりばったり、その場限りの言い逃れ、こじつけ、デッチ上げに過ぎないのである。しかしまた、それはそれで自分にとっても、だれにとっても必要なことなのである。 こうした場合に必要なのは理由などではなくて、そうした自分に理由を与えてくれて、 自分を正当化してくれる何らかの行為なのである。だからまた、この行為としての仕草自体に何の意味もなく、「行為」そのものに意味があるのである。 |
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