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しかし、これもまた、非常に永い歴史的な期間で見ると、やはり客観的なのである。なぜか? それが続いて継続しているということ自体が、現在の自分にとっての現実なのであって、そして、それが自分の存在そのものだからである。 現在、自分が生きている。そしてまた自分が、見て聞いて触れるものといったものが、大昔からの歴史的な継続の結果だからである。もしも、そうでなかったなら、それはすでにこの現実から消えて無くなっているはずだからである。 だから、これが歴史の結果としての現実なのであり、そしてまた、これが自分たちの存在の根拠になっているのである。 |
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2019-0101-0104