ルネサンスへ2012-0812-3   市


空気の「昼下がり」。



「フェルトで作る帽子」雄鷄社、撮影:南雲保夫、Emi Nina



この写真は、午後の昼下がりに撮られたものだ。
午前でも、昼でも、夕方でもなくて、
「午後の昼下がり」に写されたものだ。

肉体の、外の空気に対する、
対抗的関係(夏)でも、対峙的関係(冬)でもない。
午前の、張りつめたすがすがしさでもなく、
真昼の、緊張の頂点でもなく、
夕方の、終わりの準備でもない。
「昼下がり」の、けだるいやるせなさである。

けだるく、やるせない感じ。
萎えて、やる気を失くして、
振り向かなくなった状態。
なんとなく諦(アキラ)めてしまった。
肉体は、外に対して開いているが、
精神は、すでに内向している。

確かに、けだるく緩んで萎えている。
精神と肉体内部の、
張りつめた「緊張感」というのが、まるでない。
すべてを受け入れ、そしてすべてを無視している。
これが「昼下がり」の空気である。

すべてを受け入れるが、けっして留めない。
もはや、そんなことは、どうでもよいのである。
本来の、初めの自分に戻ろうとしている。
それが何なのか自分でもわからない。
しかし、必ず無くてはならないものなのである。



 戻る。                   続く。


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